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そういったような話は、していれば切りがなくたくさんあるのですが、また皆様のご質問をお受けしながらいろいろやっていった方がいいと思いますので、何かございましたらば、ぜひお話しいただきたいと思います。
何かありませんか。何かございませんでしょうか。ご発言をどうぞ。
先ほど午前中にやりましたときに、作曲から演奏に行って、演奏から聴衆に行く。それがだんだんと19世紀に入っていろんな問題が生じてきて、作曲から演奏に至る過程で、例えば出版だとか、版権だとか、上演権だとか、著作権だとか、そういうものが出てくる。それから、演奏家から聴衆の間で、またそこに、いわゆるアートマネージメント、広告宣伝ですとか、切符の販売だとか、いろんな問題が生じてきて、そこに法律としてはまた著作隣接権みたいなものも出てくるという表を書きましたときに、何かよく見えなかったというお話がございました。今それをもう1回お書きすることもないんですけれども、その辺のところ、つまり、そういった著作権だとか、隣接権だとか、版権だとか、上演権だとか、そういう権利のことについては何かお知りになりたいですか。もしあれば、少しお話ししてもいいかなと思います。そういうことが具体的に生じているような事例というのは、著作権はもちろんありますよね。著作権は、これは法律ですし、何をやっても必ず生じてくる性質のものですから、あると思うんですが、版権、上演権なんていうのは余りおありにならないかもしれません。
著作権というのは、要するに、作曲家というのは昔、必ず貧乏で、物の本を読みますと、べートーベンにしてもシューベルトにしてもモーツアルトにしても、みんな物すごい貧乏で、死ぬときには一銭もお金がなかったとかなんとかというお話がたくさんあるわけなんですけれども、それは事実貧乏でして、シューベルトは、自分の歌がしょっちゅうウィーンで歌われていまして、それこそ町を歩いていれば、ご婦人が洗濯をしながらシューベルトの歌を歌っているなんていうように、もう日常茶飯事で歌われていたのに、全くシューベルトの懐にお金が入ってこないで、本当に野たれ死にをするみたいに貧乏をして死んじゃったというようなことがあるんです。
そういうことから、つまり作曲家の権利として、作曲家がそういう曲をつくった権利を何とかして守らなければいけないのじゃないかということ。こういうことは大抵ドイツが一番最初に考えるので、もう1793年にドイツでは立法化されていたそうです。これは文芸に関してで、作曲に関してはもっとずっと後になるんですけれども、1793年というのは、シューベルトはまだ死んでいない、シューベルトの生きていた時期ですから、このころに

 

 

 

 

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